Powered By Blogger

2012/03/09

運勢を占う一局

こんにちわかほしー

先日(3/7)池袋の雀荘で大学のサークルの友人と麻雀を打って来ました。
僕の数少ない趣味の一つの麻雀です。いやー、麻雀は飽きないッ!
一局ごとにドラマがあって、半荘で物語が終わるんです。多種多様。
打つ人の性格を表す摸打・哭きで、未来への道はいくつにも分かれていくんですね。

まるで、人生のようです。ちなみに筆者は人生のことなど一ミリも知りません。

基本的に僕は割とオカルト志向で、その日の一番最初の半荘はその日の運力を見極める重要なものとなっております。
僕、理系なんですけどね。

確率はたしかに重要です。重要ですが、麻雀には”流れ”というものがありまして…。
ここでいう流れは、野球やサッカーなどのスポーツで言う”流れ”とは少し性質が違うものです。
スポーツで言う”流れ”は勢いや気迫などによるものだと僕は思っています。気迫や勢いに押された相手が縮こまってミスをしたりするために大逆転劇などといったものが生まれるんですね。甲子園のマモノとかはそういったものの類だと理解しています。

打って変わって麻雀は、気迫や勢いで牌の位置が変わったりしません。
麻雀でいう”流れ”とはすなわち「確率の偏り」です。僕はそう理解・解釈をしています。

これを読もうと言うんですから途方もない話ですよね。確率論者、デジタル派雀士と名乗る人たちはこれを考慮しません(と、思います)。 僕はこの得体のしれない”流れ”というものがあるからこそ麻雀は面白いと思います。

さて、先日の麻雀は5半荘やって+88でトータルトップでした。そんな爆発したわけでもないですね。ええ。


その日の、分かれ道は1半荘目のオーラスにあったと思います。
言ってみれば、その日の運勢を占う一局だったと感じている次第でございます。ふふふ。


問題のオーラスですが、ハネ満ツモ(でトップをまくれる)条件でむかえました。
ハネ満ツモといえば、現実的な条件のギリギリのラインでした。それ以上(ハネ満直撃、倍満ツモ)になるとちょっと現実的じゃないですね。

南3局で親番だったのですが、辛くも上がれず3着のまま終わってしまって、今日はダメな日かなぁ、と思って迎えたオーラスです。
前置きが過ぎました。早速牌姿をば

 僕の和了型

2p4pと対子になり、中も対子になり、ドラである9mは孤立していました。
それでもドラがなければ始まらないし、中を哭いてしまっては、ハネ満ツモなどできそうにありません。
そこで中と9mを引いてきて、最後に345mのメンツが完成しました。ここで僕は悩みました。
9mと4pのバッタに構えるか、嵌3pにうけるか。ここが最大の分かれ道でした。
どちらでもツモればハネ満です。まず僕が考えたことは「9mは出てこない」ということでした。端牌とはいえドラです。リーチをかければ出てこないでしょう。ドラなので他家の捨牌から、山にあるか判断するのは難しいです。
次に考えたのが僕の捨牌を見てもらえばわかりますが、2p4pと嵌張を払ったように見えるので「3pは出てくるかも」ということでした。ぬるいです。
5442からの2,4切りの3-6待ちは十分に考えられますからね。4p2pの順に切っていたらまた違ったかもしれませんが・・・。初打が1pなので辺3pはないと考えてくれるかもしれないですからね。

まぁまぁ、いろいろ考えた所でぼくは結局9mがでないし、たぶん山に無いので嵌3pで一人旅状態にしようと。そうおもいました。

が、ここで親である下家が追っかけリーチ!!!!正直肝を冷やしましたね。
振り込めば余裕のドベ。しかも大事な1半荘目で!!!!気持ちで余裕で負けています。
これがスポーツなら僕がミスっておしまいです。しかし、これは麻雀。僕の気持ちで牌が摩り替わるようなことなど決してありません。

と、思ったら一発ツモ!!!裏はサービスできっちりハネ満。見事トップ目に上がって終了しました。

ね?麻雀って面白いでしょう?
まだ早い。本当の面白さはここからなのです。

追っかけリーチをしてきた親の牌姿


辺3pの三色です。もし、僕があそこでバッタに構えていたら、一発で親満に振り込んでいたのです。
12000点を和了るか、12000点放銃するか。まさに天地の差です。
この日を占う一局であったことは間違いないでしょう。

僕はこの一局で精魂尽き果てた気がしましたね。激アツでした。これがあるから麻雀はやめられない。
 
ながながつらつらとまとまらない文章で書きましたが、僕が麻雀を愛しているということだけは伝わったことかと思います。
 
麻雀やろうぜ!!!!

0 件のコメント:

コメントを投稿