Powered By Blogger

2013/02/20

わからないことはわからないといえる大人になりましょう

こんばんわかほしですぅ〜。

この間、ふと思い出したんですけど、小学3年生のころ担任だった先生が
「おまえら、疑問に思ってることなんでも聞いてみろ。全部答えてやるから」
などと宣ったことがありました。こんな口調じゃないです。その年に赴任してきた女の先生です。
これまで先生に嫌われたことのなかった僕が嫌われた初めての先生です。
僕がしゃべるだけで眉間にしわ寄せてはったわwwwwww


アレなんの時間だったんだろ…。総合学習かな…。帰りの会かな…。小学生の頃総合学習とか言うのあったかな…。
なんの時間だったかはさておき、そんなふうに言った事がありました。

いろんな疑問が投げかけられ(とはいっても、小学3年生の疑問です。大抵の事なら答えられるでしょう)、先生がそれなりにしっかりと受け答えて児童らを納得させていました。

そんな時に誰かが

「先生、関節はどうしてポキポキなるんですか??」

はいキマシター。大人もわからない質問キマシター。

先生は少し考えた後、おもむろに、厚めの自分の手帳を取り出して…、机に立たせたと思うと、パタンッと倒しました。そして、歯切れ悪く
「こういうこと」

_人人人人人人人人_
> こういうこと <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄


児童「??」
先生「はい、次」
児童「ですから先生、関節がポキポキなるのはどうしてですか」
先生は先ほど見せてくれた謎の儀式を再び我々に見せてこう言います。
「こういうこと」

児童ら「??」




これは、非常に良くない。
関節が鳴るのは、有力なのが気泡がなんちゃらっていう説で、 実際はよくわからないっていうのをネットなんかでよく見ます。
たぶん、本当によくわかっていないんでしょう。

先生はなんでも答えてやるといった手前引けなくなったのかわからないのに、わかっているふりをして嘘を教えてしまった。
大人として自分なりに考えた結果が関節のところで何かと何ががぶつかる音だと結論づけたのでしょうか。

非常に良くない。子どもたちの好奇心を煽って疑問を持たせ、それを解決してやるっていう教育は良いと思います。しかしながら、そこで嘘を教えてしまうのはまずい。
ヘタすれば一生勘違いしてしまう。

小学生にとって、先生がほとんど全てで、全知全能かのような存在となります。
そんな絶対的に信頼を向けられた先生がこんなことでは、ほんとうに良くない。
情報に疑ってかかるのを学ぶのは中学生からでいい。

① 先生(大人)にもわからないことがあることをはっきり言いましょう。
  下手したら専門家にとっても未知の世界である可能性もありますからね。
② どうすれば、知りたい情報にありつけるか教えてあげましょう。
  情報化社会ですから、今の時代、このあたりはしっかりと教育されていることでしょう。なんなら、先生(大人)も知らないんだからそれに興味を持って一緒に探してあげてもいいんじゃないでしょうか。
③ 特定の生徒に対して、嫌な態度をとるのをやめましょう。
  話しかけたりするだけで眉間にしわ寄せてたあいつは絶対許さん。

僕からは以上です。
 

2013/02/07

【英語】リピーティング・シャドーイングが大切な理由

やああ

みなさんみなさん英語は勉強していますか???
僕は小学校から英語に触れはじめ、中学からはずっと学校の授業で英語を習ってきました。
特に大学受験の時はより深く文章を読み解く訓練を積みました。
日本人は、読めるけど書けないし、聞けない人が多いように感じます。

きっと、この受験の制度、教育の制度の生のような気がします。


他に英語必要になりませんもんね。まさにお受験のための英語を学んできたわけです。
それは、僕も同じです。
僕も聞けないし、しゃべれません。

でも、「しゃべれるけど聞けない」だとか「聞けるけどしゃべれない」っていう人間はほとんどいません。

「私は、しゃべれないけど聞けるよ!」って主張する人がいるかもしれません。本当に聞けてますか??リスニングの点数がいいだけじゃないの??
リスニングの点数なんざ、そのテストの対策で練習すればある程度の点数はとれます。たいていの問題が設問を読んで、要点をかいつまんで聞けば解答を導けるからです。
ディクテーションしろ、って問題はほとんどない。あったとしても定期テストなんかで出てくる、教科書で一度見たことがある文章に関してだったりする。

これが、受験、TOEICです。

リスニングって、聞いた言葉一字一句間違わずに文字にできてこそじゃないの?これが究極でしょ。
では、一字一句違わずに文字にするにはどうすればいいか。まず、文字にする前に自分でも言える必要あるよね?ある程度の長さまでなら一回聞いて、話し手のものまねできるくらいに言える必要がある。
たとえば自分の母国語でやってみてください。多分日本語でしょうけど。
当然出来ますよね?頭の中で反芻しながら文字にも出来ますよね?もし聞き取りづらかったり部分的に忘れたりしても大体は補完できたりするでしょう?
つまり、聞けるっていうのは、発音できるということなのです。
そして、知っているということ。(しゃべれることを必要っぽく言っちゃったから…、単語文法知ってて発音できるならまあ喋れるでしょう。慣れるまでにはまた別のトレーニングがいることにはいるんですけど…。)


このロジック(!?)


このことをきっちりと説明して、生徒に実践させる教師ってどれくらいいるんでしょうか。
ぼくが高校生の時は「なぁんの意味があるんだこのクソボケ教師がァ!」って思ってました。


ということです。納得していただけただろうか。
リピーティング・シャドーイングってのはリスニングの勉強なんですよ。とても大事なトレーニングなんですよって言うことを主張したかった。


ただそれだけの話。